2016年12月25日日曜日

投稿振り返り”踊るほど、赤ちゃんが可愛なるナゾ”

少し前のFacebookの投稿より。



徒然と今日も。
『踊るほど、赤ちゃんが可愛くみえるナゾ』
ほんとねー、生まれて1日目のプリんプリン赤ちゃん達、可愛すぎて食べちゃいそうになった。

最近プライベートで色んなワークショップにでるたびにダンサーですか?って聞かれる。
いやいや実は、、、と毎度訂正してきたけど。

病院でもプライベートでも、感情や状況の振り幅が大きい日々。踏んだり蹴ったり、ってこういうことかー!みたいな。それでも混乱と共にいて、乗り越えつつある、ここ数ヶ月の成長率は激しい。
振り返るに、大きい波を受け止めるほど、私の軸や重心がハッキリくっきりしてきた事に気がついた昨日の当直中。。
動揺の度に、新しいステップが増えていく感覚も。
経験した感情が全て現れていく。いとおかしかな。

ま、確かに病院の廊下でも、ステップ踏んじゃうし。音楽に没頭する、野性が目覚めるような、自由なダンスは、私の活力源に間違いなし。
いま、もっと音楽をくれーって感じや。

で、踊れば踊るほど、赤ちゃん達が可愛く見えるから不思議だ。ほんと不思議。なんでなんでなんでだろう。
なんでや〜〜っ

写真は、Meera art therapist workshopより。”


そのナゾについて、わかってきたことがある。

踊るほど、内側の世界は豊かになる。
思考ではなく、その瞬間にはじまるあらゆる動きから、躍動していくカラダ。
赤ちゃん達の、そのピュアなバイブレーションに近づいているから、より親密になる。
彼らの存在そのものと、ただ一緒にいると、本当に幸せなのだ。

海の横にいる自分に、何も制限がないのと同じ。
自分をジャッジしがちな私が、海の横だと途端に無口になる。silent。
何も本当は止まることはない。何もかも、変化し続けている。

それを、ただ、見ているだけ。
それと、ただ、一緒に生きていくのだ。

どんな荒波も、穏やかな波でも、その中でステップを、ただ踏んでいく。
私達は、遊びにきているのだから。それがリーラleelaというもの。
今の自分が、この場所でしか味わえないものを、真摯に生きていく、という遊び。

徳之島の海の横に生きてわかってきたのは、

今、この人生を生きていくのに必要なのは、”今、ただ存在している”こと。
本当に、ただ、それだけなんじゃないかな。

この想いも、ずっと続かないんだろう。
変化し続けることを許そう。
12/25の17:43に書き終えたことは、もうすでに過去だもの。