2018年4月22日日曜日

30年ぶりの祖父母。徳島での再会。



わたしがブログを書きたくなるタイミングが分かってきた。
感情や、感動が、通常量をはるかに超えてしまった時に、表現したくなるみたい。

今回は仕事の事ではなく、わたしの家族の物語の一エピソードです。


誕生日直前の土日。
前日から緊張して、夜更かししてしまった。
猫たちが起こしてくれなかったら、飛行機ギリギリになっていたかも、、久しぶりに緊張した朝だった。
”徳島”に向かうために来た羽田空港。フライトまでの待ち時間 には、ふわっと 掴み所のない 緊張や不安 が 心をかすめる。

なぜ、徳島?というと、、
わたしが一歳半の時に、両親は離婚し、母方実家の岐阜で育った私は、もちろん父の顔も知らず、父方祖父母、親戚も、なにもわからない状態だった。その父方親戚が住むのが、徳島県阿南市という場所。

3-4歳の時、一度?徳島に遊びにいき、従姉妹と海に行ったんだ、と聞いても、全くピンとこない。

愛着も、懐かさも、感じるのは岐阜や、今の実家 兵庫県明石だ。

でも、 わたしは、血の繋がりのある父と徳島の家族に、いつか 会ってみたいと 興味が膨らんで来ていた。
さて、わたしに流れる 徳島の血とは。

昨年終わりから 
わたしは自分の仕事も、家族についても
整理していく機会が多く、

ついに用意が出来た、と感じて、” 徳島”に連絡をしたのは2月始めの事。

顔を知らない家族。
家族って言えるか分からない。

どんな顔されるかも分からない。
どんな人たちか分からない。

怖かった。

でも、わたしは、徳島の血がどんな事であっても、変わりなく、今のわたしで居られると思ったし、今だから家族の真実を受け止められると思えたから、
30年ぶりの再会を、決められた。




徳島は 夏のように暑く、快晴。
豊かに森が茂り、広々と川が海に注ぐ。

空港で待ち、ついに再会。
あ、この人たちだと一目で分かってしまった。

90歳になるおじいちゃん、86歳のおばあちゃん、阿南市から二人を連れて来てくれた叔母さん。

目に涙をためて、優しく見つめるおばあちゃんには、それだけで胸がいっぱいになった。しかも、わたしは父方のおばあちゃん似だったんだと分かった。すごく似ていた。驚いた。でも、納得した。

30年。
1-2時間のランチで話せる内容じゃあないけど、
どんな人たちなのかは分かったような気がする。

母の再婚まで毎年の誕生日にたくさん贈ってくれた 甘くて大粒のイチゴ。
初めてお礼が言えた。
イチゴが大好きになったのは徳島から贈ってくれていたからです、ありがとう。

わたしの中にある性質の中に、徳島の血筋特有のものも見て取れて、何度も腑に落ちた。
普通の腑に落ちる、よりも
もっと深く、どしっと 。

そして、今のわたしより、
わたしの中にいる小さな子どもが、
納得するために、真相を聞きたかったんだなぁ、ってことね。
いいエピソードも、辛いエピソードも、なんでも知りたかったから。
隠さず伝えてもらえてよかったな、と思った。

会えたあとは、カラダの中を、やけに満足感が広がっていて、緑も光も眩しかった。
父には、会えないことも分かったけれど、
直接、理由も聞いて、
これは父の人生なんだって、理解した。


わたしが、このわたしであるために、
必要な別れや、必要な出会い。


家族って、血の繋がりだけじゃないから、
これから徳島と再び繋がっても、
育ててくれた明石の家族が “わたしの家族です”って言える間柄には変わりない。
もしかして、もう生きては会わない家族なのかもしれないけど、こうやって、身体があるうちに、再会し、お礼を言えたことは、大きな区切りになったことは間違いない。
ここも私の故郷の一つ。

今日は、本当に、
ただ、全てを言葉に出来ないような、
巨大な感動があったから、

この再会は、少しでも書き残しておきたいと思った。