ダイナミック瞑想で”移動したくない”と言っているのが、10~12歳くらいの私であることに気が付いた。泣き叫んでいるのは彼女だ!ちょうど、そのころ、慣れ親しんだ岐阜から、兵庫県の明石へと引っ越しをすることになったのだ。その場所から離れることになった時、嫌だ!と大声で言えなかった。その私のかわりに、今の私が暗闇の中でたくさん表現をした。身体もエネルギーも全て使って。熱い涙がどこかに流れていたった。
私の絵は、線はまだ見えてはいるものの、すでにただのデザインになった。この絵の一つの背景であり、アクセント。構成している要素。
今日も新しい目によって、新しい色を描いていく、流していく。
たくさん水をつかうようになった。今まで使ったことのない色を、したことのない描き方に挑戦していく。
ああ、新しい朝がやってきて、今日もまらエネルギー毎、新しくなったんだな。
”絵を描くことのできる大切な紙”をもらって、子どもにもどってその紙をあそんだ。
結局、みんなで踊りながら切り刻んで、飛ばして、ちぎって、ちらかして、あつめて、ふらせて、誰かの服にいれたり、ダイブしたり。歌って踊って、JOYを見つめ続けた。
その途中、父と母の目を想像した時に、みんな表情が固まった。
禁止されてきたこと、社会の枠の中に私たちの本当のJoyや美しさは閉じ込められてきた。
紙の中に、美しさをみているだろうか。何もかもが創造性の塊なのだ。
満月の夜、ブッダグローブでは、生演奏の瞑想音楽が流れる中、
みんなで横になって満月を浴び続けた。
優しい光。そして力強い。
何かが満ちたのを感じた。