2018年2月11日日曜日

自分の道のりを、歩くこと。

最近、とてつもない大きな別れを経験した。
今までの私からしたら、全くそれは”好ましからぬ出来事”だった。

“あゆみちゃん、人生には、三つの坂がある。
 それはね、上り坂、下り坂、まさか、だよ”
と、大好きな女性に教えてもらった直後に起こった、まさに、まさかの出来事だった。。


人生に、目的地があるとしたら、
どこだろうか。

なりたい職業や、キャリアのある地点、
結婚する、母になる、、住む場所やだれかと描いた場所、、もなり得るかもしれないが、
それは、小さな地点なだけで、

私は、一番の目的地、着地点は、死ぬ時、だと思っている。

人生は旅のよう。
どこか、遠くに行かなくても、目を開いて日々を見てみたら、それだけで充分に大冒険をしているんじゃないか。だれでも。

もし、自分がずっと旅をし続けている旅人であったら、いつも新しい人に出会い、違う景色の中に含まれる。最初に設定した目的地は想像で心地よいはずと思った島のリゾートでも、気がついたら地球の真裏で汗だくでサンバを踊って見知らぬ人と心底楽しんでいるかもしれない。それ、私の人生であり得る感じだ。


人は生まれた時から、死ぬ時まで
変化し続ける
息をしている間、いつも


その変化は、グラデーションじゃなく、ある一点を境にまるで別人になったような変化もあるだろう。
それを人は、ターニングポイントと呼ぶ。
人生の節目だ。


きっと変化し続けるのが、生きているってことだ。

最初に小さな目的地をいくつも思い描いても、進む道のりでの自分自身の変化が、その目的地にも影響し自然と変わる。

どんなに小さなウネリも、ずーっと海を伝わって、大きな波になる。
大きな波が来た時どうするか?
止められない、、泣いて飲み込まれる?
受け止めるしかない、、さあ、むしろ乗って楽しんじゃえ?
私は後者だ。


変化を止めることはできない。
変化が止まった時、それは終焉。



車窓は変わり続け、必要な出会いが毎瞬やってくる。
その道のりで出会うモノは、
自分のココロが求めていたモノで、向き合い続けていくしかない。

だから、旅のなかでは、
いいことばかりではない。
気がつけよーって、地面がいきなり割れたり、いきなり頭をガツンと打つような。
その瞬間は、心引き裂かれるように、強烈な痛みを伴う出来事かもしれない。

“そろそろ起きなさーい!”
それは、夜明けのサインなのかも。

悲しさも、怒りも、車窓の風景の一部。
それは、見方により、ギフトにも悪夢にもなる。

ココロの持ちようである、は決定的だ。

深呼吸して、自分の立っている場所を感じ、
吹いている風を一身に受けた時、
そこが、私たちの旅の目的地ではないことを知っている。

昨日と、ちがう風が吹き始めたんだ、

どんな事があっても、
旅は続くのだから。

その出来事に向き合った心は、一番の友人で相棒。

それを乗り越えた”自分自身”が一番のギフト。

このココロとカラダがあって、まずそれだけで充分なギフトだってこと。

遠く描いていた夢よりも、触れられる温もりや絆、寄り添いが一番に暖かい。


いいじゃないか、目的地が変わっても。
その道のりに、いっぱい、あたたかさや人間らしさが詰まっているんだから。
大事なものは、今この瞬間、触れられる場所にあったと気がつくだけさ。


それが、いのち、の醍醐味だな、と。。


だから、今回経験した別れも
旅の一部に間違いない。

今まで、車窓にはわき目もふらず、目的地に向かい一目散に進んできた感じだった。
でも、いまは、自分の足で歩く道のりを、一瞬一瞬、全身で味わっているような感覚でいる。
目的地が変わっていいや、
その道のりを充分に楽しんで行こう。

だから、意味がある。
今までより、自分の足と仲良くなった。


最終目的地にたどり着いた時、
全部の謎解きができるはず。
楽しみにしよう、わが友よ。

間違いなく
このココロの変化をつぶさに見つめてきた事が、私の言葉に幅を持たせている。


芸の肥やしにしてしまう。
よっしゃ。いこー進もう、新しい道。

だから私は今日も旅をする。
今までと少し違う私と一緒に参ります。

いっぱい泣いた私、ありがとう。
いっぱい怒った私も、ありがとう。
いい子をするんじゃなく、私は私をやり切ってみた。

っーか、ほんま、ココロ死んじゃうかと思ったわ、、

だから、そんな私を支えてくれた周り皆様、ほんとに本気でありがとうございます!

一先ず、完全に燃やし切って、肥やしに出来そうです。

そして、これから出会う皆様、よろしくお願いします!