2019年1月26日土曜日

猫の愛ってやつは。






トート。
愛称トトさん。宮古島生まれの3歳半。

朝は、いつも彼が起こしてくれる。
耳元で囁くように鳴くか、プニプニ肉球でほっぺや鼻を押すか、おデコをザラザラの舌で舐める。

稀に 大きな音を出すときは、目覚まし時計をセットし忘れている時だから驚く。
目を覚ますと、少しホッとしたような表情で目の前に座っている。いつもかしこまっているように見えるのは産まれながらに毛皮がタキシード配色だからだと思う。

彼らと暮らすようになるまで、こんなに動物が賢いと知らなかった。

しっかり目の奥をみるような真っ直ぐな眼差しは、小さな時からだ。
初めて出会った時、兄弟猫の中でも、一際小さなカラダのトトさんは、病気で左目が少ししか開かなくても、右目でまっすぐにわたしを見つめて、膝で寝たのだ。
猫たちも、人間が、目でモノを見てる事を知ってるんだろうか。
本能で分かっているのだろうし、それ、すごいよね。

朝起きて、いつも、数分はこの小さな生き物の 美しさに見惚れる。
神さまって、猫たちを愛しているんだなぁと思う。

だからかな?


猫の愛ってやつは、底知れないよ。


わたしが珍しく熱を出して寝ているときは、触れるか触れないかの距離で添い寝をしてくれた。
絶妙なバランスで横に、ただいるだけ。
ゴロゴロとならす喉の音が、高熱で見てしまう悪夢の辛さを和らげてくれたっけ


夜遅くに帰宅したときは、玄関先まで るんるんと尻尾を上にあげて近付き、撫でろとお腹を見せて寝転ぶというお出迎え。ルンもトトも揃ってる。布団は暖かくて、直前まで丸まって寝ていた穴がある。わたしの足音が分かり、起きるらしい。


お風呂から出ると必ず近くにやってきて、抱っこをせがむ。胸にだくと、湯上りの熱が気持ちいいのか、ゴロゴロ喉をならして、目を細める。手もフミフミ。
その彼らの幸せな感覚を味わうのが、風呂上がりの幸せ。


寝るまでに本を読むときは、いつの間にか必ず膝の上で丸くなっていて、猫カイロをしてくれる。だから、冬でも湯たんぽいらずだ。
彼らのおかげで湯冷めもない。
お布団も彼らがいるから、すぐにポカポカになる。



生き物と住むのは、なんでこんなに満たされるんだろう、平和な空間だろうと 沁みる。
ココロの奥の方まであったかくなる。



わたしが 泣いているときには、
トトさんは、特に何も鳴くこともせず、ただわたしの膝の上で丸まりにくる。
何度も何度も。
そんな時があった。

じわって

愛だなーー

って思う。


彼が、兄弟ねこのルーンを舐めているとき、寄り添って寝ている時も、、

愛だねーーと思うけど、


ボロッボロの自分と一緒にいてくれる 温もりって、なんてありがたいのだろう!!って!



彼の深い呼吸と、滑らかな身体を撫でながら、わたしも 呼吸を整えていく。
身体が この小さなあたたかい生き物と一緒にいる 現実に戻ってこれる。

そして、少しずつ、前をむく。

話せなくても
感じあえる存在が、愛しい。


最近は、出張で彼らがいない朝に違和感がある。
彼らの温もりと匂いがあると安心して良く眠れる。

甘える時はずっと側にいるが、こちらが抱きしめても、彼らが気分じゃない時は すり抜けられる。

たぶん、わたしが居ない時は、彼らだけで 満たされた温かさや平和さがあって、ふかふかの布団で丸まって夢をみている。
それも自然な一日だ。


わたしに対して、期待をしてない感じ。
でも、いたら、甘えるし、寄り添って寝るときも、餌を求めるときもある。


その態度は、不自然さが一切なくて、気持ちいい。
幸せに生きるって、すごくシンプルなんだ、とハッとする。

猫が、猫だぞ!って生きてる自然さがよい。

愛を 、愛だぞ!ってしない自然さがよい。


彼らは、存在が愛なんだと思う。
愛って概念は、みえない空気みたいに当たり前だから、きっと猫界にはないんだと思う。 


それは当たり前すぎて。
今を生きる部族の言葉に、未来形の言葉がないように 当たり前なんだと思う。


ココロと身体が一致している美しさよ。

朝、朝日がのぼる空を  窓辺からただじっと見つめる 姿は、アタマではなくて、その小さな身体全てで 一日が始まることを知っているように見える。
その姿から、
日々、 学ぶ。気がつく。







ココロが本当にしたいことを、身体がやる。
真ん中が ブレないから、小さいカラダなのに、エネルギーに満ちている。 

誰にもカッコつけない。だから、余分な力はいらないの。


彼らは” 今、ここ”を体現する存在。まさに、マインドフルネスの師匠だ。


自分が満たされて、無理なく、自然に相手も満たしちゃってる。


彼らなしの生活は、もう想像がつかない程、わたしは彼らにゾッコン。 ありがと、一緒にいてくれて。

わたしを救ってくれる彼らには、猫がみ様がついてるーーくらい思って、有り難く撫でさせてもらってる。

そんな想いも通じてるのかな。
うん、伝わっている事にしておこう。

お互いが いい距離感で、種を超えて 生き物として、空間を共有するあたたかな日々が 嬉しい。


この激動の時期を一緒にすごしてくれている彼らは、大事な大事な家族。


これからもよろしくね。




こちら、ルーン。愛称ルンちゃん。
究極のお出迎え。
この写真から、撫でなさい、って声が聞こえる、笑。