産婦人科医たんけあゆみのブログへようこそ。 各地で開催している講座やお話会、ワークショップのことや、旅など、、大好きな事について発信しています。妊娠・出産と子育てのためのマインドフルネスプログラム”マインドフルバーシング”講師。 https://mindfulbirthingjp.wixsite.com/mindfulbirthingjapan Hello! I'm Ayumi. Obstetrician , Researcher and Educator living in Tokyo, Japan. I'm also Mindfulness teacher of MindfulBirthing (Mindfulness-based Childbirth and Parenting: MBCP)
2014年10月28日火曜日
病室から大爆笑!
今日は、勤務終了してから、どうしても会いたい方に会いに、前勤務先にいってきました。
9月。
私は精神的につらい状況で、ギリギリで。見た目は元気でも、全くもって魂枯渇していた時期だった。
その時期に入院されていた、ある3人衆。
Mさんは、胎児をかかえての大手術を受けるために九州から一人、数か月にわたる入院中。
Tさんは頸管長が短くてこれから数か月入院予定。
Yさんも切迫早産で入院中。
年齢も、状況も全く違う。でも疾患は、それぞれ油断をゆるさない状況だった。
ややもすれば、ストレスだらけの毎日。
毎日同じ場所で、いつも通りの食事をたべ、先生たちは”おなかはりませんか?”とか病気のことしか聞かない(忙しいと、さらにそんな状況になりがち。)。
頭は病気のことだらけ。体のことで入院したのに、心まで病んで・・っ
ただ、この3人は一味も二味も違っていた。
はじめは、全く話さなかった3人ですが、いつのまにか、ご飯時は、カーテンをフルオープンして、大きなお部屋で和気あいあい。
一人が子宮収縮増加して、早産に近くなって個室に移動したときも、後の二人は個室までご飯を食べにいって、大笑い。
個室の一人は、二人が来ていない時に、二人あてにお手紙(お菓子つき)を用意して感謝を伝える。
Tさんが一番週数が早かったのだけど、”私はMさんと、Yさんの分娩を絶対みとどけるのよ~!”と明るく言ってのけていた。
私も一緒になって、病棟で大笑いしていたら、いつの間にか、鬱々とした不安も悩みも、笑いと共に消え去ってしまって・・仲間!そのエネルギーってすごい。
この3人は、まさに、ココロからつながった仲間で親友で、お互いのココロを支えあっていた。
10月になり、私は勤務が変わってしまったけど、10月28日(Tさんの帝王切開の予定日)には、何がなんでも会いに行くてきめていた。
そして、今日。
Yさんは少し早い2週前に分娩。明るく帰宅したそうな。
Mさんは、予定よりも6日前に分娩していた。30日退院だそうで、ギリギリの再会。
見守るのよ!と言っていたTさんも、元気に育て中で、1000gを順調に超えたそうな。
3人で、9月の大笑いの続きをして、近況を報告。
”この期間の入院でよかったよね~先生も一緒に笑ってくれてありがとう~いてくれたから、どんなことがあっても明るく過ごせたんだよ~~!!”って。
(涙、涙)
写真のカレンダーは、Mさんの分娩予定日カウントダウンをするためにデコレーションしたスペシャルバージョン。
かわいい、お化けがくっついて、数字の一つ一つまで温かい魔法がかけられてた。
まだまだ、問題はあるけれど、心まで暗く病気になる必要なんて一つもない。
病院は出会いの場所でもある。多くの人の人生が交差する、ハブ空港のように。
実は、これから一生に続く出会いが得られ、何か面白い道に入っていくのかもしれない。
ほっこり、優しい、つながりが、これからも、続いていく。
患者・医者という関係よりも、人間らしく、もっと感動までも共にして、お互いに癒しあうことの出来る関係。
病室からの大笑いは、病院は治療、という枠を、解体する。
いつでも人は、人らしく。
また、今のフィールドで、実現を応援していきたいな、と思った。
2014年10月2日木曜日
最後の外来の日、のキセキ
大学病院最後の外来。
前日に、この産科10か月のことを想った。
ある時期、本当に、分娩が怖くてしかたなった。
でも、続けてこれたのは、素晴らしい出会い、お産に出会え、微力な自分の力も少しずつ認めることができたから。
ああ、あの人はどうしているだろう。この家族はあの笑顔でいるかしら。と。
私にとっても、お産はonly oneの積み重ね。
最終外来の日。
あるお母さんが赤ちゃんを連れてきてくれた。
Iさんは、睡眠薬依存、不安が強い方だった。妊娠して婚約者をすごしていたけど、言葉のDVを受け、シェルターに避難。シングルマザーの道をえらんだ。
でも、不安が閾値をこえるたびに、救急受診をして、ココロの不調が、とーっても強くでていた。
私は、外来で、あかちゃんはIさんの味方であること、健康であること、我慢せず不安を口にして相談すること、徐々に大きくなるおなかに話しかけて、気持ちよく過ごすこと、の提案を。
分娩の時は、叫びながらスッキリお産。
一か月健診の時には、実は睡眠薬のまなくなりました!と堂々たる姿に変身。
実は、この日が最後の外来であることは知らなかったらしい。
私もびっくり。
この日がラストチャンス。偶然じゃなくて、何かに引き寄せられたな、と思った。
すっかり大きくなり、ムチムチにそだった赤ちゃんは6kgになっていて、笑顔を向けると本当に幸せそうな両エクボの笑顔を返してくれるベッピンさんになっておりました。
顔をあげると、Iさんも両エクボの同じ笑顔。
ああ、赤ちゃんは、Iさんの笑顔を真似しているんだな、幸せなんだな、と感じて、胸がいっぱいになった。
・・・分娩は、運命を変える。
伴走者の声掛けで、限界を少し超えていけるもの。
妊娠期間の過ごし方で、精神的な強さ、自分を大事にする方法に気が付き、堂々と、自分の道をあるいていけるようになる。
前日に、この産科10か月のことを想った。
ある時期、本当に、分娩が怖くてしかたなった。
でも、続けてこれたのは、素晴らしい出会い、お産に出会え、微力な自分の力も少しずつ認めることができたから。
ああ、あの人はどうしているだろう。この家族はあの笑顔でいるかしら。と。
私にとっても、お産はonly oneの積み重ね。
最終外来の日。
あるお母さんが赤ちゃんを連れてきてくれた。
Iさんは、睡眠薬依存、不安が強い方だった。妊娠して婚約者をすごしていたけど、言葉のDVを受け、シェルターに避難。シングルマザーの道をえらんだ。
でも、不安が閾値をこえるたびに、救急受診をして、ココロの不調が、とーっても強くでていた。
私は、外来で、あかちゃんはIさんの味方であること、健康であること、我慢せず不安を口にして相談すること、徐々に大きくなるおなかに話しかけて、気持ちよく過ごすこと、の提案を。
分娩の時は、叫びながらスッキリお産。
一か月健診の時には、実は睡眠薬のまなくなりました!と堂々たる姿に変身。
実は、この日が最後の外来であることは知らなかったらしい。
私もびっくり。
この日がラストチャンス。偶然じゃなくて、何かに引き寄せられたな、と思った。
すっかり大きくなり、ムチムチにそだった赤ちゃんは6kgになっていて、笑顔を向けると本当に幸せそうな両エクボの笑顔を返してくれるベッピンさんになっておりました。
顔をあげると、Iさんも両エクボの同じ笑顔。
ああ、赤ちゃんは、Iさんの笑顔を真似しているんだな、幸せなんだな、と感じて、胸がいっぱいになった。
自由に行こう!モンゴル♪ |
・・・分娩は、運命を変える。
伴走者の声掛けで、限界を少し超えていけるもの。
妊娠期間の過ごし方で、精神的な強さ、自分を大事にする方法に気が付き、堂々と、自分の道をあるいていけるようになる。
ココロとカラダの整え方 の、提案。
9月終わりのこと。
実は職場が10月から変わる直前のお昼、琉球大学の本学にある、女性研究者支援センター(うない研究所)にリクエストをうけて、ワークライフバランス講座”ココロとカラダの整え方”をしてきました!!
市中病院とは違う楽しみかたは、まさに、医学部以外の他職種と触れ合えること。
大学は、非常に大きなコミュニティ。
今回は、意気投合した うない研究所センターの方々に熱烈にリクエストを受けて、の初開催。
今までは、映画、コンサート、ワークショップ、気功教室、ホスピタルコンサートにしても、”誰か”の素敵さを紹介させていただくことばかりでした。
新しい挑戦として、私自身が会の中心人物としてすすめる。
私が学んだことを集約して、お伝えすること、を始めた。
それが、この病院の務めのちょうど最終日というのが面白いタイミング。
内容は、
・はじめまして、のあいさつ
・スライドを使って、”ココロとカラダのつながり、と赤ちゃんのように力を抜くことの重要さ”について。
・45分くらいのエクササイズ
・みんなで、”めぇみち”さんのご飯♪でした。
参加者応募をしたところ、なんと25人もあつまり、当初予定をしていた場所よりも広い会場に変更してくださいました。
びっくり!そんなに注目されている分野なのね!
まずは、スライドで、発表。
産科医からの提案として。
内容→
妊婦健診をしていく中で気が付いたのは、妊婦さんは、本来一人の人間に力を注げるほどにパワフルで健康体であること。なので、病気の症状をおさえる西洋医学よりも、症状・病気にならない為に、健康を保つ=ココロも体もバランスをとって暮らしていく、ちょっとした生活の知恵を必要としている。なので、病院の中でも、特に予防医学的領域と考えています。
私は、自分の生活のなかで、ココロとカラダが密接にリンクしていて、表現しあっている、ことに気が付きました。
妊婦さんも、ストレスが切迫早産の原因になることも多く経験しています。
西洋医学の薬は、ひどい症状を抑えるために使えても、その根本の問題の解決をしなければ、永遠に薬から離れることができない。
バランスをくずして、病気、として出てくるまえに、、
①気が付くこと。 こころとからだ、繊細な動きをとらえる
②認める。 今、の自分の状態をしっかりと把握して。今まで頑張ってきた自分を否定しない。むしろ、抱きしめてしまう。 否定は、ストレスをつくり、バランスを悪くする。
③癒す。力を抜く。
この方法、妊婦さんだけじゃなくて、効く!と思うのです。
治癒を、病院にたよらず、薬にたよらず、自分で行うこと。
病気になったら、確かに立て直すのは一苦労、なこともおおいけれど、まだ、病気、になる前なら、出来る事も残されてる!
この方法、妊婦さんだけじゃなくて、効く!と思うのです。
治癒を、病院にたよらず、薬にたよらず、自分で行うこと。
病気になったら、確かに立て直すのは一苦労、なこともおおいけれど、まだ、病気、になる前なら、出来る事も残されてる!
話のあとには、実践。
大好きな輪の形になってもらって、ヨーガの呼吸法、気功(余分な氣の落とし方、気のめぐらし方、感じ方)、足のマッサージ、骨盤ほぐし、腸・特に丹田まわりのマッサージ法、ヨーガニードラ(マタニティヨーガより)で赤ちゃんに還る体験、気でカラダをめざめさせる、の流れで、ご紹介。
私は、それぞれの道のプロではないけれど、みんなにエッセンスの紹介はできる。
だから私は、、《赤ちゃんの頃の、暖かい場所、守られ、受け入れられた場所を思い出し、目覚める》ことが、いつでもどこでも、だれでもできることをお伝えする。
健康になること、の道は、人それぞれ。
偏って、信じすぎることなかれ。
一人のひとも、季節や状況、精神状態によって、必要なメソッドはすぐに変わってしまう。
だから、まずは、気が付く。
そして、認める。
いろんな方法で癒される。 REBORN METHODの提案。
真剣に! |
めぇみちのおにぎり弁当、本当においしかった!
あの、佐藤初女さんの、イスキアのお結び。カラダが、”ああ、大事にされている、幸せ!”ってなる魔法。
この日の、堂々たるもう一つの目標は《めぇみちのご飯を美味しくいただく》ことだったので、目標は完遂しました♪
楽しんで生きるのに、まずは今、目の前の事を楽しむべし★ですな。
めぇみちさん、病院卒業のお花もありがとうございました!
ちなみに”めぇみち”さん、”前のみち”という意味。
私は、自分の目の前の道が見えにくくなったとき、とーっても疲れたとき、にめぇみちのお母さんの話をきいてもらって、ご飯をいただいて、いつの間にか癒されて、また、自分の前にある道を、ちゃんと歩くことができています。
http://mehmichi.ti-da.net/
2014年9月20日土曜日
タンケ お産を語る。 ”みんなのお産 39人が語る「お産といのち」”紹介
こんばんは。
2012年の冬のこと。沖縄に移住する直前でした。
当時、産科医になって1年目でしたが、ご縁があって、私が感じた、お産といのちについて語る機会をいただきました。
お尻が!!たべちゃいたいくらいかわいい、この表紙。
出産育児研究者のきくちさかえさんの編著で、ミシェルオダン先生、池川明先生やあの吉村正先生まで、様々な立場から感じるお産といのち。
*さかえさんには、REBORNスタッフにも任命してもらいました。
なぜ、私が今、産婦人科医をしているのか・・??
医師になった当初、私は小児循環器内科を志望し、初期研修の病院では小児科中心に学ばせていただいていました。
しかし、医師2年目の8月後半に、激務と食生活の乱れから、突然、虫垂炎になり手術。
ぽっかりと2週間あいたお休みで、”私このままでいいのか?”と。
虫垂炎のおかげで、今の私を感じなおすきっかけができたのです。
私の最初の理想は、80台まで町医者をしていたおじいちゃん。
そうだ、家族丸ごとみれる医者になるぞ!と思いなおし、3年目に長野の諏訪中央病院の後期内科研修へと進みました。。
はじめは燃えた内科診療も、集中治療室での治療や緊張状態、死の負担が身にダイレクトにこたえます。うん、本当に、この世界で医者をするのは、難しいことなのだ、と。
そんな中、パートナーの連れられていった、運命の会。
長野女神山ライフセンターで行われた、吉村医院の吉村正先生を囲む会。
輪になって、ただ、自己紹介をしただけなのに、ぽかぽかした心地よさが残って。この吉村医院ってなんなの!?って興味がわきました。
どうしようもなく、気になって気になって、一人のりこんだ、吉村医院。←愛知県岡崎にあります。
その時に、傍につかせていただいたお産は、はじめ、ことばにできないくらいよかった。
上の写真には、その時に感じた気持ちそのまま、書かれています。
それまで、病院のお産は怖かった。
・・・私は、ここから生まれてきたの?
会陰は麻酔をされ(ないこともあった!)当たり前のように切られ、赤ちゃんは血みどろのなか生まれてきて。
すぐに母から遠く引き離されて、大号泣の赤ちゃん。あら、元気でいいね、とは感じられなかった。
まるで、”まぶしいよ、お母さんはどこ?さみしいよー!”って聞こえたのですが。
でも、吉村のお産は、本物だって感じた。ちゃんと、お母さんと赤ちゃんのしたいこと、助けている。
それでも、その時点では、家族もわかるしなやかな小児科医になる気持ちだったけれど、お産が頭から離れないのだから仕方ない。
小児循環器で教えていただいたことも、総合診療・循環器内科のことも、荒れた救急当直で鍛えられた日々も、私が生活している中で養われる感性やアイデアも、なんでも取り入れられる分野であることに引き寄せられて、こうして産婦人科医となりました。
どの場所にも命の循環がある。
今ある全ての医学も、全ては、人が喜びながら生きるためのお助けをするという目的だったはず。
西洋も東洋も、統合医療といわれるものであれ、その人が幸せになるのであれば、つかったらよいのよ、争わなくでいいのよ、って純粋に思っていますが。
どの分野も、偏りなく、ここにある全てで、大きな一つを構成しています。
また、お伝えしましょう♪
とにかく、こんな想いで載っています~とにかく、”みんなのお産”、おススメです!
amazonで購入できちゃいます。下記リンクより。ちゃっかり。
http://www.amazon.co.jp/DVD%E4%BB%98-%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%94%A3%E2%80%9539%E4%BA%BA%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%80%8C%E3%81%8A%E7%94%A3%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%80%8D-%E3%81%8D%E3%81%8F%E3%81%A1-%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%88/dp/4768435327
2012年の冬のこと。沖縄に移住する直前でした。
当時、産科医になって1年目でしたが、ご縁があって、私が感じた、お産といのちについて語る機会をいただきました。
お尻が!!たべちゃいたいくらいかわいい、この表紙。
出産育児研究者のきくちさかえさんの編著で、ミシェルオダン先生、池川明先生やあの吉村正先生まで、様々な立場から感じるお産といのち。
*さかえさんには、REBORNスタッフにも任命してもらいました。
なぜ、私が今、産婦人科医をしているのか・・??
医師になった当初、私は小児循環器内科を志望し、初期研修の病院では小児科中心に学ばせていただいていました。
しかし、医師2年目の8月後半に、激務と食生活の乱れから、突然、虫垂炎になり手術。
ぽっかりと2週間あいたお休みで、”私このままでいいのか?”と。
虫垂炎のおかげで、今の私を感じなおすきっかけができたのです。
私の最初の理想は、80台まで町医者をしていたおじいちゃん。
そうだ、家族丸ごとみれる医者になるぞ!と思いなおし、3年目に長野の諏訪中央病院の後期内科研修へと進みました。。
はじめは燃えた内科診療も、集中治療室での治療や緊張状態、死の負担が身にダイレクトにこたえます。うん、本当に、この世界で医者をするのは、難しいことなのだ、と。
そんな中、パートナーの連れられていった、運命の会。
長野女神山ライフセンターで行われた、吉村医院の吉村正先生を囲む会。
輪になって、ただ、自己紹介をしただけなのに、ぽかぽかした心地よさが残って。この吉村医院ってなんなの!?って興味がわきました。
どうしようもなく、気になって気になって、一人のりこんだ、吉村医院。←愛知県岡崎にあります。
その時に、傍につかせていただいたお産は、はじめ、ことばにできないくらいよかった。
上の写真には、その時に感じた気持ちそのまま、書かれています。
それまで、病院のお産は怖かった。
・・・私は、ここから生まれてきたの?
会陰は麻酔をされ(ないこともあった!)当たり前のように切られ、赤ちゃんは血みどろのなか生まれてきて。
すぐに母から遠く引き離されて、大号泣の赤ちゃん。あら、元気でいいね、とは感じられなかった。
まるで、”まぶしいよ、お母さんはどこ?さみしいよー!”って聞こえたのですが。
でも、吉村のお産は、本物だって感じた。ちゃんと、お母さんと赤ちゃんのしたいこと、助けている。
それでも、その時点では、家族もわかるしなやかな小児科医になる気持ちだったけれど、お産が頭から離れないのだから仕方ない。
小児循環器で教えていただいたことも、総合診療・循環器内科のことも、荒れた救急当直で鍛えられた日々も、私が生活している中で養われる感性やアイデアも、なんでも取り入れられる分野であることに引き寄せられて、こうして産婦人科医となりました。
どの場所にも命の循環がある。
今ある全ての医学も、全ては、人が喜びながら生きるためのお助けをするという目的だったはず。
西洋も東洋も、統合医療といわれるものであれ、その人が幸せになるのであれば、つかったらよいのよ、争わなくでいいのよ、って純粋に思っていますが。
どの分野も、偏りなく、ここにある全てで、大きな一つを構成しています。
また、お伝えしましょう♪
とにかく、こんな想いで載っています~とにかく、”みんなのお産”、おススメです!
amazonで購入できちゃいます。下記リンクより。ちゃっかり。
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2014年8月 エジプトの旅 ⑤ルクソール編
ルクソールには、2泊していた。とまったのは、ルクソール神殿の目の前にある、ホテルネフェルティティ。場所は、観光に、ゆっくりするのに申し分ない。ツアーのアレンジや、空港への送迎もしてくれる。
午前中はデンデラ・ハトホル神殿にいきましたが、ルクソールに帰宅してすぐに立ち寄ったのは、有名なカルナック神殿。
ここは、2000年の歳月をかけて歴代のファラオによって建築されたアメン信仰の聖殿。古代エジプト最大の神殿複合体です。ルクソールは昔、テーベと呼ばれ、新王国時代(BC1570-1293)にさかえ、後半には、ツタンカーメン王も含んでいるよ。
ここにたどり着くまでに、100メートル以上炎天下を歩かねばなりませぬぞ。
そんなに簡単にいけません!しかも、ダンジョンみたいに、モノ売りさんたちに声をかけられまくる。
カルナック神殿の本殿と、実はルクソール神殿は、このスフィンクスに両側を守られた道で続いていたのだ。えらい規模。1km以上あると思うのに。
アメン・ラー神殿の列柱室内部。巨大な柱の左右にオベト大祭の模様を描いている。
お祭り柱なのね♪
トトメス一世とハトシェプスト女王親子のオリベスク。権力!って感じですね。天空を狙って。
ちょっと悲しい気分になるのですが。。
1像1像、本当に大きい。
古代の兵士を表している。
実は、古代人、これくらい大きかったのではないかしら。普通の人の規模じゃない。
あつすぎて、スカラベ像までたどり着けなかったのですが、相当満足しました。
ここは、日本でいったら、諏訪大社的なエネルギーでしたよ~。
カルナック神殿をでるとすぐに、馬車のおっちゃんが現る。
交渉している間に、目の前のお土産もの屋の前で馬が大量に尿をして、ちょっと喧嘩になっていた。 そりゃ、こんなに量してほしくないよね。でも、すぐ乾きそう。
ホテルに帰宅の道は、ナイル川の横。おっちゃんの片言の英語で、解説をなんとなくうけながら、たまに聞き流しながら。
こういう応答、うまくなった。
この旅、唯一のちゃんとした料理店での外食。
野菜のタジン、ゴマのタヒニ、パンと、奥にひよこ豆のスープ。
タジンはトマト風味で鉄なべで熱されて登場。これが美味しかった。
ゴマのタヒニは、ちょっと酸っぱく味付けされていて、パンにちょうどいい。
ひよこ豆のスープもあっさりと、日本人受けする味。やさしい。
ホテルの屋上はレストラン。空が天井。そっか、雨ふりませぬものね。
ナイル川に沈む夕日は、赤かった。
徐々に暗がりに。ルクソール神殿と夕陽は、絵になる光景。
エジプト最後の夜、ありがとう。
ルクソール神殿がライトアップされてきた。月もこんばんは、です。
明けて、朝日!
同じ太陽なのに、違う表情。最後の朝だ。
スーク(市場)の上に、朝日。
また、エジプトの街に、喧噪がはじまる。
そして、私たちのエジプトの旅がおわった。
見てきた神殿は紀元前3000年以上のものもあれば、新しくとも2000年以上たったものばかりだった。
古代エジプト人、あなどるなかれ。
現代人でも困難なことを、何かに導かれてやりとげ、今まで保存され、多くの人にワクワクを与え続けている。
漠然と、、古代エジプト人は、宇宙人と協力していたな、と解釈。
ハトホル女神が怪しい、よね。
ベスに会えたのもうれしかったな。産科の神様も、堂々と神殿に保存されているなんて、いいよね。
エジプトにくらべ、日本は水に恵まれ、人々もおだやか。タクシーでぼったくられず、どのホテルも高性能。暮らしやすい場所にいさせてもらっている、と本当に感謝。
沖縄に帰ってきたら、体調もより好調。なんたって、エジプト40度近いなかで動いていたので、30度ちょっとの沖縄が涼しくかんじるもの♪夏もおりかえしですね。
---
旅は、いつもの日常に違う視点をくれる。世界を広げてくれるもの。
だから、帰宅したのではなく、違う場所に進んだ気になる。とくに常識を覆すような体験・場所にいくほど、その感覚を強く感じる。
そう、みんな、旅の途中を生きている。
午前中はデンデラ・ハトホル神殿にいきましたが、ルクソールに帰宅してすぐに立ち寄ったのは、有名なカルナック神殿。
ここは、2000年の歳月をかけて歴代のファラオによって建築されたアメン信仰の聖殿。古代エジプト最大の神殿複合体です。ルクソールは昔、テーベと呼ばれ、新王国時代(BC1570-1293)にさかえ、後半には、ツタンカーメン王も含んでいるよ。
ここにたどり着くまでに、100メートル以上炎天下を歩かねばなりませぬぞ。
そんなに簡単にいけません!しかも、ダンジョンみたいに、モノ売りさんたちに声をかけられまくる。
スフィンクス |
第1中庭の様子。 |
アメン・ラー神殿の列柱室内部。巨大な柱の左右にオベト大祭の模様を描いている。
お祭り柱なのね♪
オリベスク! |
ちょっと悲しい気分になるのですが。。
1像1像、本当に大きい。
古代の兵士を表している。
実は、古代人、これくらい大きかったのではないかしら。普通の人の規模じゃない。
あつすぎて、スカラベ像までたどり着けなかったのですが、相当満足しました。
ここは、日本でいったら、諏訪大社的なエネルギーでしたよ~。
カルナック神殿をでるとすぐに、馬車のおっちゃんが現る。
交渉している間に、目の前のお土産もの屋の前で馬が大量に尿をして、ちょっと喧嘩になっていた。 そりゃ、こんなに量してほしくないよね。でも、すぐ乾きそう。
ホテルに帰宅の道は、ナイル川の横。おっちゃんの片言の英語で、解説をなんとなくうけながら、たまに聞き流しながら。
こういう応答、うまくなった。
エジプト料理 |
野菜のタジン、ゴマのタヒニ、パンと、奥にひよこ豆のスープ。
タジンはトマト風味で鉄なべで熱されて登場。これが美味しかった。
ゴマのタヒニは、ちょっと酸っぱく味付けされていて、パンにちょうどいい。
ひよこ豆のスープもあっさりと、日本人受けする味。やさしい。
夕陽 |
ナイル川に沈む夕日は、赤かった。
徐々に暗がりに。ルクソール神殿と夕陽は、絵になる光景。
エジプト最後の夜、ありがとう。
ルクソール神殿がライトアップされてきた。月もこんばんは、です。
明けて、朝日!
同じ太陽なのに、違う表情。最後の朝だ。
スーク(市場)の上に、朝日。
また、エジプトの街に、喧噪がはじまる。
そして、私たちのエジプトの旅がおわった。
見てきた神殿は紀元前3000年以上のものもあれば、新しくとも2000年以上たったものばかりだった。
古代エジプト人、あなどるなかれ。
現代人でも困難なことを、何かに導かれてやりとげ、今まで保存され、多くの人にワクワクを与え続けている。
漠然と、、古代エジプト人は、宇宙人と協力していたな、と解釈。
ハトホル女神が怪しい、よね。
ベスに会えたのもうれしかったな。産科の神様も、堂々と神殿に保存されているなんて、いいよね。
エジプトにくらべ、日本は水に恵まれ、人々もおだやか。タクシーでぼったくられず、どのホテルも高性能。暮らしやすい場所にいさせてもらっている、と本当に感謝。
沖縄に帰ってきたら、体調もより好調。なんたって、エジプト40度近いなかで動いていたので、30度ちょっとの沖縄が涼しくかんじるもの♪夏もおりかえしですね。
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旅は、いつもの日常に違う視点をくれる。世界を広げてくれるもの。
だから、帰宅したのではなく、違う場所に進んだ気になる。とくに常識を覆すような体験・場所にいくほど、その感覚を強く感じる。
そう、みんな、旅の途中を生きている。
2014年8月 エジプトの旅 ④デンデラ・ハトホル神殿編
この旅の中でも、必ず行こうと決めていた場所であるハトホル神殿。
ルクソールの宿から、半日ツアーで片道1時間半かけて、念願の場所へ。
砂漠の花は、色鮮やか。太陽に似ているのか。水が少ない花たちは、自力で生きていこうってエネルギーがある。やっぱりこの日も快晴だった。
王様と、真ん中はハトホル女神、右は夫のホルス。
この神殿は、この3人が中心に据えられている。
ほぼ完全な形で残っている!
崩れた柱から切り出された女神。ハトホル女神は、母乳の豊富が豊富に得られる牛の化身とされ、耳は、牛の耳みたいにとがってる。懐かしい優しい表情。
でも、牛って言われなかったら、一見、宇宙人にも見えるよね。
でた!ベス! 実は、古代の産科医の神様。ハトホル神殿には分娩の部屋もあったようで、産科には特に関係している神殿だったのです。行って、納得。
ベスは、最初は産科の神様としてだけだったのが、後々、祭りやダンス、めでたいこと全体をつかさどる人になったんだって。イイね!
本殿に向かう道の右側にある授乳室の神殿。
王様がハトホル女神から授乳されていた、という話にして、王様を神格化していた。
イシス、ホルス、に引き続き、要所に授乳風景の絵をよく見る。
旧キリスト教の教会も存在していた。コプト十字は、縦横が均等。
周りは蓮の花でかこまれて、なんだか、乙女な雰囲気で。
神殿はなんでもセンターだったようで、ヒーリング専用の場所も用意さえていた。
祈祷所みたいな?氣を整える場所ってことね。そりゃ~もう、高神官がいただろうから、効果抜群だったんでしょう。
本殿の真横にきまして、ここは、身を清める場所。男女一緒に神聖な水で清めて、本殿へ。
15m四方くらいの巨大な場所です。にぎやかだっただろうな。
両側から使者によりkey of life アンクを授かっている王様。
今までは食べさせられる像ばかりだったけど、なんとここでは水浴び!
そうか、エジプトでのアンクは、水。ナイルの水があったから、自然も人も、生き延びてこられた。
だから、水として絵では扱われているんだ。
この神殿が、一番、色彩鮮やかに残っている。
本当に見上げると首が大変なくらい高い天井。
なのに、びーーーっしりと描かれている。
美しい次元超えちゃっているよ~。
藍色、が一番近い色。天井は空を守るヌウト神の胴体でもある。
太陽はヌウトの体を通り、夜には大地の神ゲブの中をとおって、また朝になる。ヌウトとゲブは兄妹神であり夫婦。
差し込む光がこんなになるなんて。普段かんじないモノも見る事のできる場所。美しい。
この王冠はホルスかな?神様はいろんな姿になって描かれる。
なんと、ここは、二階建てです!
ハトホル女神に守られたミニ神殿は、瞑想部屋のような役割をしていたか、重役の会議につかっていたのか、はたまた、飲み会に?
神殿の2階が、一番高い場所。
抜けるように輝く空。
天井に掘られた円形のカレンダーは、四方の女神と、その中に別の神様を配置して、方位と365日を表している。
古代の人は、なんでも出来たんだね。階段のこの正確さといったら。
☆ハトホル神殿は人々に非常に大切に扱われていたんだと思う。こんなに綺麗に保存されている。俗っぽくなく、氣もよごれずに。
ハトホル神殿は日本でいうと、伊勢神宮っぽい雰囲気。水、女神、再生、氣を補う場所。
懐かしくって、きてよかったな、って純粋におもった。
お次は、ルクソール!
ルクソールの宿から、半日ツアーで片道1時間半かけて、念願の場所へ。
川の横に育つ花たち。 |
ハトホル神殿にはいる外門 |
この神殿は、この3人が中心に据えられている。
ハトホル神殿の本殿 |
ハトホル女神 |
でも、牛って言われなかったら、一見、宇宙人にも見えるよね。
ベス!! |
ベスは、最初は産科の神様としてだけだったのが、後々、祭りやダンス、めでたいこと全体をつかさどる人になったんだって。イイね!
授乳室の壁 |
王様がハトホル女神から授乳されていた、という話にして、王様を神格化していた。
イシス、ホルス、に引き続き、要所に授乳風景の絵をよく見る。
コプト十字 |
周りは蓮の花でかこまれて、なんだか、乙女な雰囲気で。
healing room |
祈祷所みたいな?氣を整える場所ってことね。そりゃ~もう、高神官がいただろうから、効果抜群だったんでしょう。
水浴び場 |
15m四方くらいの巨大な場所です。にぎやかだっただろうな。
アンクを浴びる王様 |
今までは食べさせられる像ばかりだったけど、なんとここでは水浴び!
そうか、エジプトでのアンクは、水。ナイルの水があったから、自然も人も、生き延びてこられた。
だから、水として絵では扱われているんだ。
本殿内部 |
本当に見上げると首が大変なくらい高い天井。
なのに、びーーーっしりと描かれている。
美しい次元超えちゃっているよ~。
天井 |
太陽はヌウトの体を通り、夜には大地の神ゲブの中をとおって、また朝になる。ヌウトとゲブは兄妹神であり夫婦。
本殿奥の間 |
楽器ふいてる? |
2階のミニ神殿 |
ハトホル女神に守られたミニ神殿は、瞑想部屋のような役割をしていたか、重役の会議につかっていたのか、はたまた、飲み会に?
デンデラ一望 |
抜けるように輝く空。
神様のカレンダー |
階段 |
☆ハトホル神殿は人々に非常に大切に扱われていたんだと思う。こんなに綺麗に保存されている。俗っぽくなく、氣もよごれずに。
ハトホル神殿は日本でいうと、伊勢神宮っぽい雰囲気。水、女神、再生、氣を補う場所。
懐かしくって、きてよかったな、って純粋におもった。
お次は、ルクソール!
2014年8月 エジプトの旅 ③エドフ・ホルス神殿編
アスワンのホテル前に停車していたヌビア人のお兄ちゃんをつかまえ、ルクソールまでのタクシーチャーターを頼むことに成功。なんと、喜んで、途中のエドフ・ホルス神殿にも寄ってくれるとゆう。
300エジプシャンポンド(日本円4500円なり)で交渉成立。エジプトではタクシーに乗る前に交渉することが鉄則なり。
驚きばっかり。どうして、こんな巨大なものに、細かいレリーフをほれるかな。
一部、青い色彩が残っている。羽を広げる守り神発見!とにかく細かく繊細なレリーフが印象的。
いよいよ、中にお邪魔します。外門から本殿までの距離も100mくらいあるのでは。
きっと、当時は、この神殿に、いろんな人があつまり、話、おどっていたんだろうな。
同じくらい青い空のした。同じ太陽に照らされてさ。
ホルス神の像は可愛い顔して、 ヒトの2倍の大きさ。
表面はなめらか。あら、やどっていますね、と思う。
アークを運ぶ、太陽の船、とみた。本殿の真ん中に鎮座しているのが、船っていうのがいい。
とくにこの砂漠の街には、水とかかわり運ぶことの出来る船が、命=アークを守るものの代表にもなっていたのだと思う。
イシス神殿もそうだったけど、本殿の中心にエネルギーがあつまるようにできているらしい。
いくつかのパターンで、アンクを授かる様子が描かれている。
アンク=生命。
神殿は、生命を活性化させる場所として癒しの中心になっていたのか。暗号は、波になり、その場所のエネルギーをあげる力をもつもの。神殿の神官達の仕事を助けていたはず。
かわらず、こうやって美しい光が差し込んでいただろう・・きっと、私と同じ位置にたち、そう思う人がいたはずだ。
赤ちゃんホルス神に授乳中のイシス神。
誕生殿の裏に、ひっそりと美しく刻まれている。
ほかの見学者は2-3人で、ゆっくりと味わうことができた。
ホルス神も好きだな~。男性的でかっこいいです。
300エジプシャンポンド(日本円4500円なり)で交渉成立。エジプトではタクシーに乗る前に交渉することが鉄則なり。
エドフ・ホルス神殿 |
広大な広場に、突然現れる巨大な要塞。それが、はじめの印象だった。
作りは、同じくプトレマイオス時代につくられたイシス神殿ととてもよくにている。
古代エジプト神話では、ホルス神とセト神(砂漠の戦いの神)がこの場所で戦ったとも。
当時、ホルス神はギリシャ神話のアポロンと同一視されたため、崇拝の対象になっていたらしい。
場所はちがっても、崇める対象は似ているよね。
柱も立派 上にはホルス神が守る |
外門 |
相当でかい守りの外門。
外門の天井部分 |
本殿 |
きっと、当時は、この神殿に、いろんな人があつまり、話、おどっていたんだろうな。
同じくらい青い空のした。同じ太陽に照らされてさ。
ホルスと一緒にとびました |
表面はなめらか。あら、やどっていますね、と思う。
ホルスの守る太陽の船 |
とくにこの砂漠の街には、水とかかわり運ぶことの出来る船が、命=アークを守るものの代表にもなっていたのだと思う。
イシス神殿もそうだったけど、本殿の中心にエネルギーがあつまるようにできているらしい。
左のホルス神がアンクを授かっている |
アンク=生命。
神殿は、生命を活性化させる場所として癒しの中心になっていたのか。暗号は、波になり、その場所のエネルギーをあげる力をもつもの。神殿の神官達の仕事を助けていたはず。
かわらず、こうやって美しい光が差し込んでいただろう・・きっと、私と同じ位置にたち、そう思う人がいたはずだ。
赤ちゃんホルス神に授乳中のイシス神。
誕生殿の裏に、ひっそりと美しく刻まれている。
ほかの見学者は2-3人で、ゆっくりと味わうことができた。
ホルス神も好きだな~。男性的でかっこいいです。